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もうこんな時間です。 S28 和歌山県みなべ町清川生 S50 大阪工業技術専学卒 S59 棒引建築設計開設 S60 結婚・田辺市秋津町へ H10 旧田辺市議会議員初当選 総務企画副委員長 H14 旧田辺市議会議員再選 文教民生委員長 H17 新田辺市議会議員当選 総務企画委員 私の家族 私 昭治 53歳 妻 真奈美 45歳 長男 大輔 19歳 大3 二男 史朗 17歳 高3 三男 友哉 15歳 高2 四男 和磨 10歳 小5 長女 奈津美 7歳 小2 ご意見ご感想はCommentsをフィットして記入送信してください。 カテゴリ
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2007年 01月 23日
今日は、日本人初のノーベル賞を受賞された、湯川秀樹博士の生誕100周年であり、京都大学では記念事業が行われた。
1949年(昭和24年)42歳、論文『素粒子の相互作用について』の中間子論でノーベル物理学賞を受賞する。 その湯川博士が、田辺市に縁があることを、恥ずかしながら私は始めて知りました。 湯川博士の父親、小川琢治(京大名誉教授)が田辺市出身の地質学者で、浅井家に生まれ御坊の小川医師の娘である小雪さんと結婚し婿養子となった。 そして、湯川博士は1907年(明治40年)三男として生まれました。 兄は冶金学者の小川芳樹(元東大教授)、東洋史学者の貝塚茂樹(京大名誉教授)、弟に中国文学者の小川環樹(京大名誉教授)、末の弟は戦死、5人兄弟全員の名に「樹」が使われており錚錚たる7人兄弟姉妹である。 1932年(昭和7年)大阪の医者の次女、湯川澄子さんと結婚し婿養子となる。 この湯川氏の祖先も、甲斐の武田氏の後、初代忠良が事情があって熊野に来て、中辺路町で湯川姓をなのり、田辺から日高へ勢を伸ばし御坊に亀山城を築いたと言われている。 非常に田辺には縁が深い湯川博士である。 わらわれにとって遠い存在の方と思っていたが、急に親近感を抱いてきた。 弁慶、南方熊楠翁、植芝盛平翁、湯川秀樹博士・・・・とならないか。 祖先の浅井家をご存知の方お教えください。 2007年 01月 22日
昨日、和歌山ビックホエールで県『ゴールデンキッズ発掘プロジェクト』の第2次選考会があった。
県が平成27年の2回目の和歌山国体を目標に、国際的に活躍できるトップアスリートを生み出すため『スーパー小学生を』育てようとするプロジェクトである。 和歌山県教育丁生涯学習局スポーツ課担当 国体での成績が、平成16年第59回埼玉国体では、最下位の47位、平成17年岡山国体では43位と低迷が続いていることを受け、国体に向けて平成18年度小学校3年生を対象に『ゴールデンキッズ』を発掘する。 今年度の小学3年生は平成27年の和歌山国体時には、高校3年生になっている。平成28年のオリンピックには19歳、次は23歳と活躍ができる年齢とのこと。 昨年11月の1次選考会には、県内の小学校3年生の8.5%の832名で、田辺市からは、男子35名、女子43名計78名が参加をした。 昨日は、170人が1次選考会を通過し2次選考会に臨み、30m走や立ち三段跳びなどの5種目のテストをおこなった。 このような積極的な取り組みは大変うれしいことで、大切です。 今回の田辺市での78名は県下的には少ない。もっともっと参加し挑戦してほしい。 市も県と連携をとってバックアップを。 2007年 01月 19日
先日、上富田町の吉田富哉校長先生の娘さんから寒中お見舞いのお便りが届きました。
ハガキをみて唖然としたのですが、先生が昨年7月31日に逝去されたとのことでした。 私自身何も知らずに、毎年交わしていた年賀状を昨年暮れに送らせていただいた返信でした。 ここ何年か、息子の野球観戦に上富田スポーツセンターにいくと、隣のグランドゴルフのグリーンで元気な吉田校長先生の姿をよく見かけ、思い出話をさせていただきました。 上富田のグランドゴルフクラブの会長をされているとのことでした。 大変失礼をしてしまいました。 ![]() 吉田校長先生は、平成3年から平成7年まで会津小学校の校長をしていただきました。 丁度そのとき私も育友会長をさせていただき何かとお世話になりました。 先生は、花が大変好きで特に会津小学校の校舎と体育館との間にある石づみの水路廻りに、自分で挿し木をして増やしたアジサイを植えられて、梅雨どきにはすばらしい花輪でうっとうしさを忘れさせてしまう景観を作ってくれました。又子どもたちも夏場は水路に入って水遊びをしている風景をよく見かけました。 そのあじさいの水路が、吉田校長先生の自慢話のひとつでもありました。 今でもその景観は大切に保持されています。 が最近その水路が増水時大変危険だとのことで、手すりを付けてほしいと児童のご父兄さんより陳情を受けました。今までに何回かあったのですが、私自身も思いがあり説得をしてきましたが、今回市にお願いをして手すりを付けることになりました。 風景は少しは変わるかも解りませんが、先生ご理解ください。 先生の作られた景観は出来る限り維持したいと思います。 先生のご冥福をお祈り申し上げます。 2007年 01月 17日
平成16年より、阪神大震災のあった1月17日を秋津町防災デーと位置づけて防災活動を行ってきており、今年で4回目である。
今年度は、2回目と同じく防災への取り組みの意見発表を行った。 矢矧区長は区の防災組織を整備したい。 西八丁区長は災害時の区の弱点等について。 田尻区長は、区のアンケート調査結果と極めの細かい防災組織(3.4軒でのグループ)結成の報告。 私は、地震時の死亡者の7~8割りは住宅、家具類での圧死で、自宅の耐震診断と耐震改修をするようPRした。 最後に町内会防災担当鈴木副会長が総括をして終了。帰りに婦人会の皆さんが用意してくれた豚汁を食して解散をした。 150名程度参加してくれました。 第1回目の平成16年1月17日は松田吉博氏(震災当時王子スポーツセンター所長)の被災講演会。 第2回目の平成17年1月17日は各区長の意見発表と私の中越地震被災ルポ。 第3回目の平成18年1月17日は阪神大震災に被災された和田耕治氏の講演会。 今回の意見発表。 2007年 01月 13日
![]() 秋津恒例のどんと焼きが行われた。豊秋津神社前川原で、午後3時ごろから『とんぼクラブ』の野村さん二葉公民館長とで準備を始め、5時より神事のあと積み上げられたしめ縄や書き初めの硬筆や書道に火がつけられ、大勢のの見 写真提供野村さん 守る中、薄暮れの空高く炎が舞い上がった。 一時、途絶えていた行事ですが、ここ数年まえより現公民館長が復活をさせ今は、子どもたちも大人も正月明けの楽しみの一つとしている。 最後まで残って火を見守ってくれた小学生が、来年は芋を焼いてほしいと言って帰っていきました。 各地では、この行事も野焼きの規制が厳しくなり姿を消している。 公民館長と『この行事もいつまで続けられるかな』『続けられる限りやろうよ』と話し合いました。 消防団の面々も火の後始末に最後まで残って協力をいただきました。 2007年 01月 10日
![]() 今年も少年野球あいづクラブが7日から始動しまた。 豊秋津神社にお参りをして元気に練習開始。 昨年は、6年生が13名といつになく多く数々の大会で優勝をし、圧巻は県大会最終戦で準優勝をなし遂げた。平成4年以来の快挙でした。 そんなすばらしい実績を残した後を受け継いだ新チームですが、部員は5年生4名、4年生2名、3年生5名の計11名です。内2名が女性です。 会津小学校は、全校児童581名で田辺市でもっとも多いい児童の中での11名です。 屋外での遊び場が減り、テレビゲームが遊びの主体となってきた時代の今の傾向なのだろうが、これでは体力の低下はとまらない。 そんな中、今年度保護者会長を仰せつかりました。 あいづクラブへは、6年ぶりの復帰です。 まずは部員の増強です。 野球をしたい子どもはたくさんいてます。そんな子ども達が一人でも多く野球に親しんでもらうために、『スポーツとしての楽しいあいづクラブ野球が出来る環境にしなければ』と年頭に誓いました。 2007年 01月 01日
新年明けましておめでとうございます。
平成19年1月1日月曜日! 穏やかなすばらしい天気で迎えた新年になりました。 狭いながらの部屋にも新鮮な陽光が差し込んでいます。 昨年後半、大混乱に陥った県政ですが仁坂吉伸新知事には、県政刷新をして『元気な和歌山』を取り戻してほしい。 特に紀南の元気を取り戻すべく取り組んでほしいい。 幸いにも今年高速道路が田辺まで開通し、海南・吉備間も片側2車線化の工事も進んでいます。 企業誘致の条件は、ひとつひとつ整いつつある。 2006年 08月 07日
![]() 今日、田辺工業高校でAED(自動体外式除細動器)の講習会がありました。 写真は、6月24日田辺市教委のスポーツ指導者講習会でのAED講習会の写真です。 先の、痛ましい田辺高校のテニス部部員の突然死を教訓に、県教委が各県立高校への配備による講習会です。 田辺工業高校では、県教委の1台の配備とあわせて、育友会でも1台配備をして当面2台体制で対応をすることになりました。 もちろん、いつもお世話になっているあけぼの町内会への貸し出しも、視野に入れています。 前回の6月議会での私の一般質問で、小、中学校へのAEDの早期配備を訴えたときにもお話しましたが、私は、消防団の経験があり、心肺そ生法の講習を何度か経験をしましたが、実際に現場で対応が出来るかといえば自信がありません。 しかしながら、このAEDは、先日の6月24日のAED講習会を1回受けただけで、私でも十分使えるのです。 機械がすべて、音声で指示してくれるのです。 先日の、田辺高校での事故に於いても、近くにAEDがあれば一命を取り止められていたのではないかと言われております。 高校は、順次配備がされます。 一般質問でも述べたように早期に、田辺市の小、中学校への配備をしてほしいものです。 2006年 08月 06日
平成10年、平成16年と企画をしたが、天候不順のため中止になった、奥尻島視察が今回実現できた。
![]() 平成5年7月12日22時17分に襲った北海道南西沖地震は、マグニチュード7.8の大きな地震であった。 地震に近い奥尻島は、地震計が設置されていなかったが震度6の烈震と推定された。 地震の3分後に、津波の第一波がが島を襲い、今回宿泊した旅館のある青苗地区では、多数の人と、504戸の内の385戸が流された。 さらに、家庭用ガスボンベや家庭用灯油タンクが火災を拡大して、190戸、5,100㎡が消失したという。 島の中核の町の奥尻地区ではホテルの裏山が崩壊して、宿泊客を含めて29名が犠牲になった。 札幌管区気象台は、5分後に日本海沿岸に津波警報を発令するがとき遅しであった。 ![]() 津波の高さは、島北端の稲穂地区では8.5M、奥尻地区3.5M、初松前地区16.8M、青苗地区6.7Mで、震源地に面している、島西側の藻内地区では23.2Mから入江では30.6Mのところもあったとのこと。 死者172名、行方不明者26名、重軽傷者143名、被害総額約664億円にも達しました。 震災から13年経過して、まだいろんなところに(特に心に)爪あとが残るものの、島民の皆さんの根強い前向きな精神で、完全復興をされたことに敬意を表します。 私たちも、災害に強い新しいまちづくりのために頑張らなくてはと強く感じました。 ![]() ![]() 港の水産業に従事している人の避難場所人工地盤望海橋 海抜7.7M ![]() 避難路アーケード 2006年 08月 05日
先日、北海道奥尻町へ北海道南西沖地震からの復興、地震津波対策の視察に行ってきました。
後日報告しますが、その奥尻町で見かけた交通安全の旗です。 60cm*80cm程度で交差点はもちろん、通学路沿道に軒並みあげてありました。 通行していても、よく目に付き効果的面と感じました。 地元の方に効果を聞くと、『車で走っていても旗が目に入るとスピードも緩めます。1.2年前から掲げています。』とのこと。 早速、田辺でも取り入れなくては・・・。 帰りの函館でも、少ないですが1箇所で見かけました。 ![]() 天気は、最悪でした。本州は梅雨が明けていて、北海道には梅雨はないと聞いていましたが、道南には蝦夷梅雨という本州に似た梅雨があるようです。 雲の影響で、飛行機も着陸を3回試みて30分後にようやく着陸しました。 ![]()
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